2018年4月14日土曜日

和菓子の世界 そのいち




普段、自分で作るのは洋菓子ばかりですが、実は和菓子大好き、あんこ好きです。


和菓子を作ってみたい、あんこを炊いてみたいという大きな憧れがあり、和菓子作りの本を
随分と何年も前に購入したものの眺めるだけでした。


なんとな〜く、ハードルがすごく高くて!


本を眺め、「美味しそっ♡」と思っては満足しておりました。





しかし、この春に何か一つ新しいことをしてみたくなり、そんな私についに和菓子を作ってみる
というキーワードがヒット!!!


満を持して、和菓子を作るチャンスが巡ってきました。


が、


本を見て自分で作ってみる。。。


ではなく(笑)


まずはあんこの作り方の基礎を教えてくれる教室へ。


最初のハードルの高さは変わらないのでした。




人生で初めてのあんこ作り。こしあんでした。

まぁ、これも目から鱗の連続で。

難しい、ハードルが高いと思っていたのは完全なる自分の思い込みの強さで(笑)

やってみたら、そうでもなかったです。

ただ、時間と手間はかかります。



後日、早速に家で復習を兼ねて一人で作ってみました。


吸水と渋切り

あんこを炊く時、豆は水に漬けません。
火を入れていくことで豆が水を吸うそうです。



沸騰したら、びっくり水をさす。
この作業を2〜4回繰り返します。





豆の皮が張り、十分に膨れてきたら軽く洗い、
ここからまた柔らかくなるまで茹でていきます。


時折、茹で加減を確認しながらコトコトと弱火で茹でること30分くらい。

ふっくら、つやつやと茹で上がりました。



さて、ここからがあんこ作りの本番でございます。


まず一度目の裏漉し。

少し荒めの目で皮と呉に分けます。

次は二度目の裏漉し。

丁寧に細かい目で漉し、滑らかにします。



小豆を二度、濾すこの作業、お教室では三人で
順番に作業したのでそれほど大変と思いませんでしたが
一人でやるには粘りと根気が必要です。

時間も掛かります。


こうして自分で作ることでどんなに手間が掛かり、大変なことかが良〜くわかります。




二度濾してから水に晒し、絞って出来たあん、これが生餡です。

この時点ではまだ甘くありません。



生餡にお砂糖を加えて、ねっとりとした状態になるまで
練り上げます。



こうして、やっと、こしあんが出来上がりました。





時間を掛けて炊き上げた何とも可愛らしいあんこですが。


さぁ、あんこの楽しみが始まるのはここからです。


さて、何を作ろうか?


あんこは作ってみたものの、他の和菓子を作るレパートリーは全くゼロのわたくし。



考えたあげくに・・・



あんぱん。

イーストが無かったから発酵無しで出来る
お焼きの様な簡単なパンの生地を即興で作り
あんこを入れて成型。

しかもオーブンではなくてフライパンで焼ける簡単パン!





田舎のおばあちゃんが作ったような
素朴な味のパンになりました。













あんこだけじゃなんなので。

冷蔵庫に入っていた甘酸っぱく茹でた
美味しいビーツでやはり簡単かつ即興サラダ
を作り、ビーツパンも作ってみました。

私的にはこちらの方が好みだったりして。



こんな風に何を作ろうか考えて、思いついたものを作ってみるのも面白いですね。


あとは、これ!


黒みつを作って。



それから、寒天も作って。




お豆がないけれど。




自家製あんみつ。


シンプルすぎるあんみつですが、あんこの甘さと少し酸っぱいイチゴがマッチ!


あんこの美味しさを味わうシンプルあんみつ。


寒天も思い立って簡単に作れるのが良いですね。




作ろうと思えば、結構何でも作れるものです。


その作る過程こそが面白かったり、失敗したら失敗したで次はどうしようかを考えたり。

そして食べてみてまた違う感想や発見があったり。




手作りっていいですね♪





そして長い間、私の中に頑固に居座り続けていた和菓子への固定観念も外れてくれました。


次は何を作りましょうか?



和菓子の世界の中への旅、トビラをノックして始まったばかりです。




やっぱり、あんこって美味しい♡







身体の中の大きな宇宙




私達、人間にとってとても大切で、必ず誰もが持っている一番、身近なもの。

それなのに実は一番、何もわかっていないもの。


自分の身体の中。


身体の内側は神秘の世界。まるで宇宙のように!





現在、上野の国立科学博物館でやっている特別展「人体展」に行ってきました。



時代が追いつけなかった早すぎた天才レオナルド・ダ・ヴィンチのルネサンス時代から人体の謎を解明するべく
研究、解剖が行われてきたんですね。

今ではCTやMRIで体の中をデジタルで見られますが、その当時はもちろんその様な機器はなく
解剖して見たことから考えを張り巡らせて、人体の構造を説明、人体解剖図を書いていたのです。

そこから少しずつ文明、機器が発達していき現代では、各機能の働き、役割、それぞれの器官が
どのように繋がり、どのようにお互いの器官を助け合っているか、はたまたゲノム情報までもが
解明される時代になりました。

この「人体展」では、私達の体の中の各器官を「循環器・泌尿器系」「神経系」「消化器・呼吸器系」
「運動器系」「人体の発生と成長」に分けて、一つ一つ、その器官の形から細かい役割に至るまで
詳しく説明をしてくれています。

これが驚きと感動の連続でした。

確か、随分と前の学生時代に体の中の器官の事は勉強したはず?なのに、すっかりと全て抜け落ち
何となく大体の各器官の働きを理解している程でした。

それが実際に自分も持っている各器官の大きさやそれぞれの役割を知ると、この小さな体の中に
こんなにもたくさんの器官、神経系があり、それぞれが生きている間に毎日休むことなく
24時間ずっと人が生きるために頑張って動き、働き続け、守り続けてくれているという驚き。

それぞれの器官の素晴らしい、生きるため、体を支える為の細やかな働き。

私達が生きている間に見ることはないけれど、何もない母親のお腹の中に発生して、一つずつ形や臓器が出来、
そして生まれてから死ぬまで一生、お付き合いが続く体と体の中。

驚きと神秘に満ち満ちています。

自分の体の中ではいつも、こんなことが起きているのかと感動と共に、自分の体への愛おしさも
感じました。

これもある意味、自分を知る、自分を理解することの大切な一つですね。



そして最新の研究では各器官がメッセージ物質を発していて、臓器同士で会話をしてコミュニケーションを取り
助け合い、動いているということがわかってきたそうです。

最後に驚くほど美しく、騒がしい人体の中の世界を体感出来る、ネットワークシンフォニーの部屋が
ありました。(この部屋は撮影OKエリアです。)



一つの臓器がメッセージ物質を発すると、そのメッセージに応じて必要な臓器が働き、助けるそうです。









体の中に大きな神秘の宇宙を持ち生きている私達皆それぞれが、大切で素晴らしい奇跡の存在なのですね。

有難くて、感謝の気持ちでいっぱいです。

先日訪れた伊勢神宮で頂いた大切な気付きから続いて、自分を知り、大切に生きるということを
学ぶ時期なのかもしれません。


興味をお持ちの方はぜひ、上野に足を運んでみて下さいね。

6月17日(日曜日)まで上野の国立科学博物館でやっています。


上野の公園は青々とした緑の木々と花、シャンシャンに会いにきたたくさんの人々で賑やか
そして気持ちがいいですよ!






ちょうどお昼時だったので「人体展」の帰りに上野でお昼ご飯を食べました。

駅の中にあるスペイン料理のお店 Vinuls(バニュルス)

魚介と鶏肉のパエリアを頼みました。


美味しいパエリアでしたよ〜♪

これが体の中に入って、また体の中の臓器が働いてぐんぐんと栄養を吸収してくれるんだという
普段は感じなかった想いと共に美味しいパエリアを頂きました。

たまたまお隣の席に日本に観光に来ているスペイン人のご夫婦が座り、お話をしました。

このパエリアはスペインで食べるパエリアと同じ味出そうです。

そして周りのお焦げの部分が美味しいから皆、ここを食べたがるんだよって言ってました。

日本のご飯もお焦げが美味しいですよね。一緒かなぁ?

それから、なぜかスペインの美味しい料理やワインのことについて教えてくれて、
スペインの方々としばし、おしゃべりして楽しい時間を過ごしました。

日本人はどこに行ってもとても親切で嬉しいとおっしゃっていて、日本を満喫されているそうなので
良かった。



毎日、小さなことで幸せや気付きをもらいますね。

嬉しいです。この気持ちを大切に。

どうもありがとう。

2018年4月8日日曜日

導かれて・・・伊勢神宮へ。




2018年・春の桜も終わりましたね。


道にはところどころまだ少し桜の名残、花びらが落ちています。


そんな道端の桜の花びらに目を細めながら歩く今日この頃。


桜の花が咲いている時には毎日、気持ちがわくわくして嬉しい気持ちだけれど、
咲き終わって思い返してみると、それはあっという間の出来事。


まるで束の間の儚い夢のよう。


少し寂しい気持ちを感じつつも、その儚さが美しいとも感じるようになりました。


歳を重ねて、色々な気持ち、単純ではない深さや儚さも少しはわかるようになってきたということでしょうか?


だとしたら嬉しいな。








春分を終え、ブルームーンを迎える3月の終わりの日々、一泊二日で伊勢神宮に行きました。


女二人、突然に予定が合い行こうと決めたものの、結構強引に決めたのでスムーズに事は運ばず、
バタバタで当日を迎え、出発しました。

しかし、不安とは裏腹にいざ出発してみると全てが驚く程にスムーズ、す〜いすいと流れるような旅となりました。

そう、それは今回、伊勢神宮に導かれて来たかのように。



1日目は外宮へお参り。

伊勢神宮はまず、外宮からお参りするそうです。

今回、伊勢神宮に行くにあたり、行く前に少しおさらいをして初めて知りました。

そう、実は伊勢神宮について知らない事ばかり。

ワクワク、ドキドキな気持ちを胸に外宮に足を一歩踏み入れました。

外宮は、衣食住、広く産業の守り神である豊受大御神をお祀りしています。
(それぞれの詳しい説明は長くなるので端折ります。)

正宮・豊受大神宮をお参りしてから同じ域内にある別宮・多賀宮→下御井神社→別宮・土宮→別宮・風宮
とお参りしました。

伊勢神宮の空気に圧倒され、1日目はすっかり写真を撮るのを忘れていました。

この木だけ。

この木の存在感すごいのです。いや、この木だけではなくて伊勢神宮の中の全ての木々にもの凄い存在感と
個性を感じました。

何も言わないけれど、全てを見ている、全てを知っている。

何百年、何千年と晴れの日も雨の日も暖かい日も寒い日もそこに静かに居続けている、生き続けている
不動の存在なのです。

近づいて木に触れると安心感に包まれました。


外宮の域内をお参りした後はお天気の空の下、てくてくと30〜40分程歩いて内宮の別宮の
倭姫宮と月読宮をお参りしました。





伊勢神宮の中に足を踏み入れるとどこも静かで温かくて神聖な空気に包まれているのですが、
私達二人とも倭姫宮にはそれ以上に何かもっと言葉にできない特別なものを心に感じました。

偶然にも二人して、「私、ここすごく好き」って。


不思議なことは花粉症の酷い私、お伊勢さんの域内にいる時はピタリと止まり、
鼻のズルズルも目の痒みも全くなかったこと。

守られていたのかもしれません。



東京から離れて伊勢に来て、1日目から心も身体も伊勢の澄んだ空気の中で伊勢の洗礼を受けて2日目。

早起きして5時少し過ぎにホテルを出て、始発電車でいよいよ内宮へ。

五十鈴駅で降り、そこから朝の冷たい空気の中を歩くこと約30分。

朝の静かなおはらい街通りを抜けると内宮の鳥居が見えてきました。

着いたのはまだ6時前。

五十鈴駅を下りた時、暗かった東の空は段々と明るくなってきているけれど、まだお陽様は見えません。

鳥居をくぐり、宇治橋の上で遠くの山から陽が見えるのを待ちました。

しかし、朝の空気は冷たくて、寒かった。

結局30分位待ち、行った時は同じく何人かの人が待っていたのに気がつくと私達二人だけでした。

五十鈴川の流れと鳥のさえずりを聞きながら、凍える寒さの中で見た朝陽の暖かさと眩しさ
美しさ、感動でした。

 朝、誰もいないおはらい街通り。


 朝の空気、寒いけれど更に澄んでいて気持ちいい。
五十鈴川の存在、流れる音が私達を清めてくれる気がします。


ついに朝陽が見えた。


陽が見え始めたら暖かくなってきました。

不思議。普段は陽の暖かさ、有難さを改めて思うことはないのに、陽の光がとても暖かくて
全身から感謝の気持ちが溢れ出ていました。

五十鈴川で身を清めてから正宮・皇大神宮にお参りに。

皇大神宮は皇室の御祖神であり日本人の大御祖である天照大御神をお祀りしています。

私達日本人のルーツなのですね。

お参りの人も少ない、光溢れる朝の内宮の域内。


皇大神宮をお参りしたら何とも言えない気持ちが心の中に込み上げてくるのを感じました。

いつもは意識しない日本人としての気持ちが動いたのかもしれません。


それから内宮の域内で別宮・荒祭宮→別宮・風日祈宮をお参りしました。

五十鈴川の流れる音が清らかで本当に心地よくて、いつまでもここにいたいと思いました。

五十鈴川の様に清らかに淀みなく、流れていたいものですね。



前日の外宮でも特別な気持ちを感じていましたが、内宮の域内に居る時のあのスペシャルな空気感は
今までに感じたことがないものでした。

とても静かで穏やかで温かい、まるで守られているかの様なこの気持ち。

伊勢神宮の内宮の神聖な空気、この場所、五十鈴川の流れ、その存在に加え、朝の空気が
そんな特別な気持ちを更に素晴らしいものにしてくれたのかもしれません。

実は数年前に一度、伊勢神宮に来たことがあるのですが、その時はここまでの強烈な印象と感動を
感じませんでした。


朝一番のお伊勢参りを終え、神聖な気持ちに包まれつつもお腹が空いたので、おはらい街通りで腹ごなし。

とはいえ、こんな朝早くに開いているお店は、伊勢神宮といえばこれ!という程に有名なここだけ。赤福本店。

赤福とお茶。ここでも五十鈴川を眺めながら赤福とお茶を頂きました。
身体が冷えていたので、お茶が温かくて美味しくて、身体も内側から温まりました。


その後、少し歩いて猿田彦神社へ。猿田彦神社はみちひらきの大神様です。

今回の旅をした私達二人、偶然にもちょうど今、新しい世界への出発点に立っているのです。

まさにこれから、新しい扉を開けようとしているところ。

これからの私達が勇気を持って新しい扉を開いて、新しい道を淀みなく歩いて行かれる様にお参りしました。


そしてこの後、最後に外宮の別宮・月夜見宮をお参りして、伊勢の地を後に東京に戻りました。




何か特別なことがあったわけではありません。

でも、今回の旅は私にとっての特別な経験をすることができました。

人って生きていると毎日、常に頭の中で考えていたり、思っていたりすると思います。

それが良いことも、悪いこともあるし。自分で自分の思考をうるさいなと思うことも。。。

考えない様にって一生懸命頭の中で考えていたり(笑)

伊勢神宮にいる間は、頭も心の中も空っぽで静かでした。クリアになった。

何も考えないということは私にとっては難しいこと。常に何かしら考えている。

それが考えず、自然にただ心で感じる気持ちで受け取る、素直な自分でいられた。

考える、頭を使うということをしばし忘れられたのかもしれません。

今の私に必要なことでした。心を開いてくれました。

突然、偶然に決めたけれど、実は導かれていたのですね。

人生半分以上生きてきても、今も自分の人生、まだわからないことがたくさんあるし、考えることもたくさん。

仕方ないとわかっていてもクヨクヨしてしまったり。

今までの後悔も、まだ来ていない将来の不安も。

遠回りばかりの人生、いつも自分が好きになれなくて、自分に自信がなくて、
でも、なんとかここまで来られたけれど。

気持ちがクリアに素直になったら、心の中で閉じていた部分がひらかれてきたみたい。

自然と私達人間は守られている存在なのだという気持ちでいっぱいになった。

守られているんだなとなぜか強く感じたのです。

今ここに生きているのは奇跡なのかもしれないと。

当たり前と思っていたけれど、当たり前なことは一つとしてなくて、それは全てが奇跡なのだ。

奇跡の連続の積み重ね。

そんな風に思ったら、有難くて、感謝の気持ちが溢れ出してきた。

守られていることに、いや、全てのことに。生きている今に。この奇跡に。

人はみな、守られている奇跡の存在。生きている、ただそのこと自体が素晴らしいこと。

素直にそう思えました。

普段の生活の中では仕事ややることがたくさんあり、忙しくて、埋もれて、のんびりする暇もないけれど、
たまに、こんな気持ちを感じる機会を誰もが与えてもらえるのかもしれない。

少し自分を好きに、もう少し素直な自分に一歩近づけそうな気がしました。

でも、今までのこと思い返してみると、ちょうど必要な時期にいつも大切な気付きや、良い機会をもらってる。
そんな気がします。

誰にでもちゃんと同じ様に、その人なりの必要なチャンスや気付きの機会があるのですね。

それに気付いて、その機会を大切に活かせたら良いですよね。

遠回り、失敗の連続の人生だけれど、悪いことばかりではない、むしろ有難いとさえ思えてきました。

この先、道はまだ長くて、先は見えないけれど、心を静かに落ち着けて素直になりたくなったら、
いや、その時だけではなくて、伊勢神宮に行かれる機会を大切にまたお参りに行きます。


どうもありがとう。









おまけ:今回の旅で食べた美味しいもの。

 松坂牛丼。伊勢のぷっくりと大きな牡蠣付き!

これは、お土産物屋さんで売っていた松坂牛霜降りタオル。
まるで本物のお肉に見える?

濃厚なソフトクリーム。


伊勢名産のあおさと魚介のピッツァ。


帰り名古屋駅で途中下車して食べた名古屋コーチン入り味噌煮込みうどん、ご飯付き。






今回の旅、導かれたこと、一緒に行ってくれた友達、出逢った全てのこと、自然、目にした全ての風景、
感じた気持ち、かけがえのない時間、恵まれている日々全てに改めて心から感謝します。


これからもありがとうの気持ちを大切に、感謝の気持ちをこめて。



ありがとう。