2017年1月4日水曜日

時空をただようサーファー


今日は大都会、渋谷の雑踏の中へ。

東京に生まれ育ち、今も住んでいるというのに
ここに来る度に大都会だな。すごいなって
なんとなく他人な目で感じる。

見慣れているのに、身近じゃない。

他人行儀な気分。






渋谷のはずれの居心地の良いカフェで
beache a.k.a カレーの女王様(私も女王様のカレーが食べたい
←個人的な私信)
とおしゃべりしながら、まったりと午後の時間を過ごした。













帰り道、何気なく寄ったお店で長崎の波佐見焼の焼き物が売っていた。


そこで見つけたのは、見覚えのあるマグカップ。

イタリアに行く前にイタリアで使おうと買ったカップと
同じマグカップ。

白に紺色が気にいって。

帰る前にイタリア人の友達にプレゼントしてきた。

その友達はワインを造っている。偶然にこのカップも
葡萄の柄。

その時はそこまで考えもしていなかったけれど、ぴったりだった。

どうしているかな?逢いたいなと思いながらの帰り道。

一通のメールが届いた。

メールの主は10年以上前にニューヨークに行く時の飛行機の中でたまたま隣り合わせて以来のお付き合いで
私がニューヨークのお父さんとお母さんと呼んでいる、お母さんからだった。

メールの内容の中に書いてあった文章を読んで、急に心臓がドキドキして、身体全身が心臓みたいな
感覚になった。

昨年末に偶然たまたま、全く見ず知らずの宣教師を家に泊めるはめになった。
その人から聞いた話が今も彼女の心から離れないという。

そこに書いてあった宣教師の名前が知り合いだったのだ。

その人は東北大震災直後、ずっと被災地にボランティアとしていっており、私はいつもその話しを聞いていた。

その話から自分に何ができるのかを探していたのだ。

その宣教師とはそれ以来、会ってはいないし、今どうしているのかも全く知らなかったが、巡り巡って
こんな形で彼の名前を聞くことになろうとは。。。

ニューヨークのお母さんにだって、その宣教師の話しはしたこともない。

日本から海を越えてまさかニューヨークでこんな型で繋がるとは、ドキドキが止まらなかった。


というのも、思えば昨年の12月から時空の今とどこか不思議な空間をさまよっている様な気持ちや
出来事が多かったのだ。

まるで時空の空間の波に乗り、ただようサーファーのように!

例えば。

初めて逢って話しをした人なのに、途中から初めてじゃないような、ずっと前から知っていた様な
不思議な感覚に陥ったり。

街中で偶然、逢うはずのない人に逢うということに関しては4回も。

その人のことを考えていたら、その本人から連絡がきたり。

友達とご飯を食べに行った時のこと。
お店に着いて上着を脱いだら、示し合わせたかのように同じ色のセーターを着ていて。
あまりの偶然に笑いそうになってしまった。

その時はなんとなく、今月は偶然が多いな位にしか思っていなかった。

でも実は偶然なのか、それとも必然なのか!

もしかしたら起こるべくして起こったことなのかもしれない。

今日のメールを読んで今までただの小さな点でしかなかったものが繋がり、線になったように思う。

そういえばお正月の1日と2日。
いつもテレビで見ているイタリア語講座に出演している人と二日連続で近所ですれ違った。
普段、会ったこともないのに。(残念ながら勇気がなく、声はかけられなかった)

こんなに多くの偶然が突然、私のところにやってきた。

どんな力が動いているのか。

一つに繋がったこの線の向かう先がどこなのか、今の私にはまだ、分らない。


今日、お母さんが送ってくれたメールを何度も何度も読み返しました。
シェアしたいと思います。

ここのところ頭の中に何となく残っていること:
年末に突然見知らぬ人を泊める羽目になりました。という方で宣教師の両親のもとで日本生まれ。彼曰く、日本にはいいところが7つある。その中で話されたのに心にひっかかることが一つ。
災害の救助活動をもう80回以上されている中、東北大震災で見たこと。老夫婦が手をつないでいるところ。ご近所同士が皆一生懸命助け合っているところ。人間はすべてを失うとき、お金も地位も家も財産も全て失い真に身一つになったとき、それまでどれだけ憎しみあい、喧嘩しいがみあっていた仲でも、もうそれと関係なく助け合う、というのです。人間最悪の状況に陥ると助け合うと。これは人間の原点には命の息吹を与えた創造主の愛が息づいていると。そして究極のときその部分がスィッチオンされると。これが普段は隠れていて憎しみや争いが表に出てくるが、でもこの豊かな命の息吹を全ての人が持っていて、最悪の状態に陥ったときにその部分が現され、顔を上げてまた歩き始めることが出来る。。。と。

この海を越えた偶然の出逢いが彼女の心の中に何かを残したことは確かだ。

そして、その言葉が巡り巡って何故か私のもとにもやってきた。

私の身体の中におぼろげながらも、少し何かを感じ始めている。












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